レジ袋有料化になって半年が過ぎました。
私は使用済みレジ袋はゴミ出しの時に使っていました。
有料化になってから、肩にかけられて洗えるエコバッグを持ち歩いていますが、
貯めていた家の使用済みレジ袋がなくなり、
なじみのコンビニで新しい袋を10枚単位で売ってもらいました。
数回売ってもらってから、
どこかに売っていないか考えました。
近くにホームセンターはないですが、
以前大きな文房具の店で、
小さな袋をまとめ買いしたのを思いだして、
見本の袋を持って出かけました。
店にはレジ袋有料化対応フロアーがあり、
エコバッグやいろんなサイズの袋がありました。
袋はバイオマス成分が混入している物と、
混入していない物があり、
バイオマス成分混入の物が混入していない品より1枚につき1円ほど高く、
コンビニではこちらを売っていたことが分かりました。
高くはなりますが地球に優しい品を選ぶことにしました。
店では100枚単位で売っていて、
コンビニで買うより1割ほど安くなっているようでした。
サイズがいくつかありました。
私は部屋のゴミ箱などで使うMサイズと、
台所のゴミ箱で使うLサイズ、
あと少し大きなLLサイズを仕入れました。
コンビニではもっと小さなサイズと
MサイズとLLサイズが売られていたようです。
丁寧に対応してくれた店員さんのおかげで良い買い物ができました。
これで当分安心です。
大きなリュックにまとめ買いした袋を詰めて帰宅し、
空いた箱ティッシュに当座使う分を入れ、
残りはまとめて保管しました。
袋の大きさが分かるようにしてあるので、
ゴミ出しの後にそれぞれのゴミ箱に袋を入れる作業がスムーズです。
小さなもやもやが消えて嬉しいです。
2021年01月18日
レジ袋を買いに
posted by 風船 at 03:18| Comment(0)
| エトセトラ
2021年01月04日
近所探検
私の「新しい生活」が始まって半年になります。
当初外出のときは白杖が路上に止まっている車や人にぶつからないように
気遣いながら歩き、
見ている人たちがひやひやしていました。
先月下旬から新しいパートナーと歩き始めました。
彼女はまるでクリスマスプレゼントのようです。
気軽に外出できるようになりました。
新しいパートナーとの歩行指導で、
車の流れや人の動きなど、
周りの音を集中して聞くことを意識するようになりました。
近所を歩いて、
ボタンを押すと作動する音響信号が多いのに驚きました。
交差点の角で「ピピッ・ピピッ…」と聞こえるタイプです。
音がする柱かその傍に音響式信号のボタンがあります。
交差点に着いて、
右か左の音のする柱にあるボタンを押して信号を渡ります。
音響式信号は何種類かあります。
音響式信号と連動せず、押しボタンのみがあることもあります。。
この「ピピッ…」と言う音と音響式信号の位置関係と
信号の仕組みが分かっていませんでした。
訓練コースにこの信号がありました。
この「ピピッ…」タイプは以前からあったようですが、
今まではこの種の信号を意識していませんでした。
近所に多くあるのが嬉しくなり、
ピピッ…と聞こえる所では、
渡るときは都度パートナーにボタンを見つけてもらい、
ニコニコしながら渡ります。
なんだか「ピンポンダッシュ」しているみたいな…。
近所の方は最近賑やかになったと言っているかもしれません。
車の走行音を頼りにして歩きますが、
電気自動車の走行音は小さく、
路地では気づかないことがあります。
有名な車のメーカーはガソリン自動車のエンジン音をデザインしたと
コマーシャルで知りました。
なんとおしゃれ!
目から鱗の発想に嬉しくなりました。
電気自動車のエンジン音をデザインすると、
車好きの人が納得できて、
多くの人が安心して生活できます。
すてきな発想が身を結ぶように願っています。
以前、年末には年賀タオルやおせちを買いにデパートに行っていました。
去年の大晦日に近所のコンビニで聞くと、
年賀タオルと黒豆・栗きんとんがあり、
隣の八百屋には伊達巻がありました。
なます代わりのサラダは作ったし、
とりあえず正月準備は安心です!
八百屋で3点盛りのさしみを、
花屋で千両とフリージアの花を仕入れて準備完了!
コンビニの蕎麦とさしみ、
日本酒ソムリエが選び、
ずっと冷蔵庫で出番を待っていた酒を飲みながら、
紅白歌合戦を見て大晦日は過ぎました。
1月1日はパートナーと公園横の道を歩きました。
近くの神社のお囃子を聞き、
初詣に行く人々などとすれ違いながら、
暖かな日差しと心地よい風を感じました。
早々と蝋梅などが咲き始めているようで、
息吹をいただきました。
まだまだ落ち着かない日々が続きます。
今できることを確実に積み重ねて行きたいです。
当初外出のときは白杖が路上に止まっている車や人にぶつからないように
気遣いながら歩き、
見ている人たちがひやひやしていました。
先月下旬から新しいパートナーと歩き始めました。
彼女はまるでクリスマスプレゼントのようです。
気軽に外出できるようになりました。
新しいパートナーとの歩行指導で、
車の流れや人の動きなど、
周りの音を集中して聞くことを意識するようになりました。
近所を歩いて、
ボタンを押すと作動する音響信号が多いのに驚きました。
交差点の角で「ピピッ・ピピッ…」と聞こえるタイプです。
音がする柱かその傍に音響式信号のボタンがあります。
交差点に着いて、
右か左の音のする柱にあるボタンを押して信号を渡ります。
音響式信号は何種類かあります。
音響式信号と連動せず、押しボタンのみがあることもあります。。
この「ピピッ…」と言う音と音響式信号の位置関係と
信号の仕組みが分かっていませんでした。
訓練コースにこの信号がありました。
この「ピピッ…」タイプは以前からあったようですが、
今まではこの種の信号を意識していませんでした。
近所に多くあるのが嬉しくなり、
ピピッ…と聞こえる所では、
渡るときは都度パートナーにボタンを見つけてもらい、
ニコニコしながら渡ります。
なんだか「ピンポンダッシュ」しているみたいな…。
近所の方は最近賑やかになったと言っているかもしれません。
車の走行音を頼りにして歩きますが、
電気自動車の走行音は小さく、
路地では気づかないことがあります。
有名な車のメーカーはガソリン自動車のエンジン音をデザインしたと
コマーシャルで知りました。
なんとおしゃれ!
目から鱗の発想に嬉しくなりました。
電気自動車のエンジン音をデザインすると、
車好きの人が納得できて、
多くの人が安心して生活できます。
すてきな発想が身を結ぶように願っています。
以前、年末には年賀タオルやおせちを買いにデパートに行っていました。
去年の大晦日に近所のコンビニで聞くと、
年賀タオルと黒豆・栗きんとんがあり、
隣の八百屋には伊達巻がありました。
なます代わりのサラダは作ったし、
とりあえず正月準備は安心です!
八百屋で3点盛りのさしみを、
花屋で千両とフリージアの花を仕入れて準備完了!
コンビニの蕎麦とさしみ、
日本酒ソムリエが選び、
ずっと冷蔵庫で出番を待っていた酒を飲みながら、
紅白歌合戦を見て大晦日は過ぎました。
1月1日はパートナーと公園横の道を歩きました。
近くの神社のお囃子を聞き、
初詣に行く人々などとすれ違いながら、
暖かな日差しと心地よい風を感じました。
早々と蝋梅などが咲き始めているようで、
息吹をいただきました。
まだまだ落ち着かない日々が続きます。
今できることを確実に積み重ねて行きたいです。
posted by 風船 at 23:05| Comment(0)
| エトセトラ
2021年01月03日
パーソナルディスタンス
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は拙い文章をお読みいただきありがとうございます。
今年も赴くままに書いていきます。
よろしくお願いします。
最近話題になるのは「ソーシャルディスタンス」です。
密を避けるために距離を取るよう言われます。
人には「パーソナルスペース」があると聞いたことがあります。
物理的・心理的に他者に踏み込まれたくない領域・距離のことです。
私は時々この「パーソナルスペース」に侵入されることがあります。
見えていると距離をおくことができても、
こちらが見えないことで、
不要に侵入されているようです。
先方の「良かれと思って…」のバイヤスが物事を複雑化しています。
例えば、
出先で個包装の菓子が出てきて、
先方が良かれと思って袋から出して手渡してくれたとき。
私は、
「ありがとう」と言って受け取りますが、
障害者と接する機会が少ないと感じた人、
私のパーソナルディスタンスを取って欲しいとの気持ちに気づいてくれそうな人には、
「それできる。」
もしくは、
「甘やかさないでね」などと言い添えます。
私は見えないけれど手は使えて、
袋の開け口が見つからなければ聞けます。
小さなことですが、
私に実践させてくれる人は、
対等に接してくれていると理解します。
手助けするのが親切と教わっている人には、
まず見守っていただきたく、
分からなければ聞いて欲しく、
「あの人見えないからやってあげた。」と自己満足している人とは距離をおくようにします。
「見えないとなにもできない」の
妙な評価は容易にひとり歩きして危険です。
先日、
料理はどうしてると聞いてきた近所の人が、
お雑煮を届けてくれました。
にこにこしながら、
「多く作ったから。
入れ物を返すのはいつでも良い。」と言いました。
私はその場で、
お雑煮を我が家の万能プラどんぶりに入れ替えてもらい、
入れ物は持ち帰ってもらいました。
先方に負担のかからない時間に入れ物を返しに行くのは、
私にとっては気苦労があり、
このような差し入れが重なると、
先方の「やってあげてる」感が膨張して、
暮らしにくくなります。
入れ替えたプラどんぶりはみすぼらしいかもしれませんが、
レンチンできる優れものです。
次回差し入れがあったら、
困ったときは頼るので、
見守って欲しいとお願いする予定です。
私が私として暮らせるように。
旧年中は拙い文章をお読みいただきありがとうございます。
今年も赴くままに書いていきます。
よろしくお願いします。
最近話題になるのは「ソーシャルディスタンス」です。
密を避けるために距離を取るよう言われます。
人には「パーソナルスペース」があると聞いたことがあります。
物理的・心理的に他者に踏み込まれたくない領域・距離のことです。
私は時々この「パーソナルスペース」に侵入されることがあります。
見えていると距離をおくことができても、
こちらが見えないことで、
不要に侵入されているようです。
先方の「良かれと思って…」のバイヤスが物事を複雑化しています。
例えば、
出先で個包装の菓子が出てきて、
先方が良かれと思って袋から出して手渡してくれたとき。
私は、
「ありがとう」と言って受け取りますが、
障害者と接する機会が少ないと感じた人、
私のパーソナルディスタンスを取って欲しいとの気持ちに気づいてくれそうな人には、
「それできる。」
もしくは、
「甘やかさないでね」などと言い添えます。
私は見えないけれど手は使えて、
袋の開け口が見つからなければ聞けます。
小さなことですが、
私に実践させてくれる人は、
対等に接してくれていると理解します。
手助けするのが親切と教わっている人には、
まず見守っていただきたく、
分からなければ聞いて欲しく、
「あの人見えないからやってあげた。」と自己満足している人とは距離をおくようにします。
「見えないとなにもできない」の
妙な評価は容易にひとり歩きして危険です。
先日、
料理はどうしてると聞いてきた近所の人が、
お雑煮を届けてくれました。
にこにこしながら、
「多く作ったから。
入れ物を返すのはいつでも良い。」と言いました。
私はその場で、
お雑煮を我が家の万能プラどんぶりに入れ替えてもらい、
入れ物は持ち帰ってもらいました。
先方に負担のかからない時間に入れ物を返しに行くのは、
私にとっては気苦労があり、
このような差し入れが重なると、
先方の「やってあげてる」感が膨張して、
暮らしにくくなります。
入れ替えたプラどんぶりはみすぼらしいかもしれませんが、
レンチンできる優れものです。
次回差し入れがあったら、
困ったときは頼るので、
見守って欲しいとお願いする予定です。
私が私として暮らせるように。
posted by 風船 at 02:29| Comment(0)
| エトセトラ