2017年05月18日

ふとした日常の不条理

 「平和な日本」
「人生をエンジョイ!」

 楽しげにすれ違う人々の間を通りながら、
いろいろな場所で、
私だけが張り詰めた気分でいることがあります。
昨晩もそんな日でした。

 いつものように自宅の最寄駅前のコミュニティーバス乗り場に行きました。
回数券を買うため千円札を持って並んでいました。
料金は100円、
回数券は11枚つづりで千円です。
バスが来て、前に並んでいた年長男性が先に乗るよう言って下さり、
バスに乗りました。
入り口で運転手に、
「回数券ください。
1枚取ってください。」と言いました。
運転手はこの時点で客を見たようです。
のろのろと私が出した千円札を受け取りました。
札を広げ、
間があって回数券を袋から1冊取り、
間があって私に手渡しました。
直後に後ろにいた年長男性にお礼を言っていました。

 運転手席の後ろに座った私は回数券の枚数を確認しました。
回数券は10枚でした。
おまけの部分を取っていました。
モヤモヤした気分が募り、間が気になり、
今の出来事を振り返りました。
あの「間」は、
後ろにいた人に無言で、
自分のしていることに間違いが無いのを確認してもらっていたと気づきました。
通常の運転手は回数券購入者に、
「千円受け取りました。
回数券1枚取りますね。」と
誰にでも声をかけています。
その後ろにいた人には時間がかかったお詫びやお礼は言いません。
回数券を買ったのは私です。
購入者に確認せず、
みも知らない方に確認を取った運転手の態度に不快感を感じました。

 私は年長者に考慮し、
運転手に小声ではっきり、
「今のようなときは、私に確認してください。
あの人は私の保護者ではない!」と抗議しました。
運転手は平謝りしていました。
が、どこまで分かってくれたやら。

 同じように生活していても、一人の人間として扱われない不条理。
理解していたらこんなことはしないでしょう。
見えないと言うだけでこのような思いをすることはあります。
見えている人はたとえ見ず知らずの人でも、
見えない人が見えている誰かと一緒だと安心します。
その場にいた見えている人はただ一緒にいて、
ちょっと助けてくださっただけかもしれません。
ですが、見かけた見えている人は
見えない人と一緒の人を保護者のような安心感で見ます。

相互理解を目指してその都度説明するには体力が要ります。
じみちにやっていくしかありません。
このような不条理はおりのように心に沈殿します。

 せっかくこの世に生まれたからにはおもいきりエンジョイしようと
気持ちを切り替えるのでした。

 あなたが今回の年長男性のような立場になり、
確認を求められたらどうしますか?
posted by 風船 at 20:31| Comment(0) | エトセトラ